カレイドフォレスト_コンセプトブック
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8「みんな違って当たり前」の原点と アフリカ人の生きる力そんな中で出会ったのが米国の森林セラピーの国際団体ANFTのプログラムでした。これが自分が探して求めていたアプローチと近く、これだ!と思いました。日本の森林セラピーでは、人がいかに癒やされるか、健康にいいかと考える方が多いのですが、ANFTでは「人と自然」の対等な関係性に重きを置くアプローチを取っています。森がセラピストであって、私たちガイドはあくまでゲストを森にいざなう役に徹する。そこがしっくりきました。英語で「リレーショナル・アプローチ」といいますが、人からの一方通行ではなくて、人と自然は常に対等で相互関係にあるということ。人が森に入って樹を見る時は、樹も人を見ているし、私たちが樹に触れる時は、樹も私たちに触れている。その想像力をもって森に入ることで、本当の意味で自然との関係性を構築し直せるのではないかと思いました。今、カレイドフォレストで行っている「deep森林浴TM」は、このANFTのメソッドをベースに、毎回その時の気象条件や参加者の状況に応じて工夫しながら、皆さんを森にいざないます。互いに触れ合ったり、森の音に耳を傾けたり、ゆっくり森を歩いたり。すると本当に不思議ですが、人は徐々に森に身をゆだねることができるようになっていくんです。そうして森へ入って五感をひらいていくと、見えてくるもの、聞こえてくることが幅と深みを増して変化していきます。自然界の発するメッセージも含め、今まで気付かなかったことや見過ごしていたことが見えてくる。この、人と自然が一つになって交わる領域を私たちは「間(あわい)」と呼んでいます。あわいに入ると、人は社会的な肩書きや背負っている役割(=鎧)を外して、ありのままの自分に還ることができます。人によっては、じっくり自分を見つめ直す時間になることもあります。ある種の瞑想状態ですが、部屋の中で目をつぶる瞑想ではなくて、目を開いて、自分の感覚を広げながら、森とつながることで無に、さらには空になっていくようなイメージです。マインドフルネスというより、身体を感じるボディフルネスなのです。このあわいの世界観は、じつは日本には昔からあるものです。茶道も、華道も庭の文化にも。もともと人は自然の一部であって、自然を客観視するというより内側から見ている自然観がある。それを文化芸術の形で育んできたんだと思います。修験道の山伏も、まさに人を山の世界とつなぐ案内人ですよね。あわいの世界に入ると人はふたたび自然との深いつながりを思い出します。私たちのdeep森林浴TMは、そうした体験を大事にしています。私が子どもの頃は、総合福祉施設内の保育園に通っていました。たまたまですが、乳児院も老人ホームも一緒になったような施設で、おじいちゃんもおばあちゃんも、寝たきりの人も、障がい者も、普段はあまり見ない人たちが集まっている場所でした。そこでは「みんな違って当たり前」。子供心に多様性の体感が刷り込まれたような気がします。これが私の一つの原点です。その後、学生で国際開発の仕事を志すようになって、屋久島に来るまで二十年以上、JICAや国際協力の組織でケニアやザンビアなどのアフリカを中心に、発展途上国で働いてきました。米国の大学院で学んだ専門分野は「公衆衛生学」です。予防保健を中心に現地の保健サービスの向上や人材育成に取り組んできました。アフリカでは、幼い命がたくさん失われてい人間界と野生の世界をつなぐ 「あわい」へ

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